1940
兵庫県神戸市に生まれる
1959
吉原治良氏に師事
「第8回具体展」(京都市美術館)に参加
釘底から釘が無数に出ていたり、セメントが靴内部に詰まっている作品を発表
これ以降、具体展には72年の解散まで連続で出品
1960
吉原宅にてミシェルタピエに出会う。持ち込んだ作品が高く評価され、数十点が買い上げられた
1961
具体美術協会の正規メンバーとなる。
「第10回具体展」(東京・大阪/高島屋)にて、作品《記号の部屋》を発表
作者を含む部屋全体を記号で埋め尽くし、
作者自身も部屋と同化し期間中全日籠るという作品であった
「第11回具体展」(大阪/高島屋)にて、1枚10円の自動的手動の絵画販売機を設置
1962
「具体舞台展」(大阪/サンケイホール)にて、具体上で作家を含む13名の白塗り顏に記号を描く、
《顔と記号》のハプニングを行う。
1963
グタイピナコテカ(大阪/中之島)にて初の個展を開催。平面作品だけでなく、コートや家具等の記号化を始める
1965
サンフランシスコ美術館をはじめ、1967年まで全米7都市を巡回した新しい日本の絵画と彫刻展に出品
パリのスタッドラ―画廊で具体パリ展を開催、その後1966年にかけてケルン美術館(ドイツ)、ミッケリーアートハウス(オランダ)を巡回
1966
グタイピナコテカ(大阪/中之島)にて、松谷武判、前川強とともに3人展を開催
東京画廊で個展を開催。自動車キャロル1台の記号化作品を発表
大阪梅田「ジャズ喫茶 チェック」の全館を記号化したインスタレーションを発表
1967
読売テレビ「11PM」全国放送で記号ボディペインティングのパフォーマンスを行う
1968
ベースの演奏とリズムに同調して光る、記号パターンが激しく変わるボックス装置を発表
1969
所有する自身の平面作品全てを「自己排泄物処理」と称し、焼却するハプニングを実施
1970
大阪万博に参加
黛敏朗、谷川俊太郎らと「みどり館」マルチ映像をプロデュース
吉原治良の美術領域拡大指示で、株式会社ムカイアートコミュニティ(向井技術共同体)を開設
具体の精神に基づき、環境デザインからイメージプロデューサーとして活動
1972
吉原治良の逝去とともに具体美術協会解散
1975
消費開発を主にマーケティングプランナーとしても活動し始める
1980
「まがいもの光景展」(国立国際美術館)にて、65年の記号化自動車を再制作
1983
デュッッセルドルフ市立美術館(ドイツ)にて、「日本のダダ展」に参加
1985
スペイン近代美術館にて、「具体-絵画と行動-展」に参加
1986
フランス国立近代美術館にて、「日本の前衛1910-70展」に参加
2013
グッゲンハイム美術館(アメリカ/ニューヨーク)にて、エレベーター及びトイレの記号化
また、数十名の来場者と記号で遊ぶオープニングパフォーマンスを発表
岡山県の太陽信仰宗教団体「黒住教」の宝物館階段裏を中心とした、「宇宙の輝き」
ならびに完成祝賀会のフォトインスタレーションを制作
岡山県高梁市成羽美術館「はじまりの時・向井修二記号展」開催
タブロー約15点発表、及び展示会場やトイレのインスタレーションを担当
2014
兵庫県立美術館「記号による輝け円形劇場」展にて、
安藤忠雄建築の野外円形劇場やボート等の記号化、
500人人あまりの一般参加のインスタレーションを制作
軽井沢ニューアートミュージアム(長野)にて「具体人」展に参加
室内の記号化及びトイレのインスタレーションを制作
2015
ヴェネチアビエンナーレ(イタリア)「PRO PORTIO」展にて、
古建築内部を記号化し、記号空間でのセルフィー(自撮り)を楽しむスタジオを発表